せっかく3月に入ったのに、また寒くなって雪が降りました。
e0117183_10185060.jpg

[PR]
by suiminsha | 2010-03-02 10:19

e0117183_1554039.jpg

ダムより、ダム湖とそれにかかるつり橋を望む。湖は凍っているのか。


e0117183_1554205.jpg

ダムの上の歩道(?)。石敷きの道は、なかなかヨーロッパっぽいではありませぬか。

「青字に白のX型十字がまぶしい聖アンドリュー旗がはためく下、スコットランドはハイランド地方の城に築かれた城塁の上より」
と言ったら信じてくれるかな。
[PR]
by suiminsha | 2010-02-18 15:57 | 釜石
e0117183_16571380.jpg

[PR]
by suiminsha | 2010-01-28 16:59
足場が組まれはじめたようだけど、いよいよ解体作業に入るのか。

e0117183_16242695.jpg

e0117183_1624528.jpg


思い出が胸にある者の個人的な感傷だと言われればそれまでだけど、
なかなか味のあるデザインだと思うし、
戦後集合住宅の初期型のモデルとして価値も十分あると思う。
維持管理をしながら、じっくりと新しい活用方法を考えるわけにはいかないのだろうか。

涙のスクラップ・アンド・ビルド。
[PR]
by suiminsha | 2010-01-19 16:34
釜石の西北部にある橋野というところに行ってきました。
釜石は日本の近代製鉄発祥の地とされるまち、橋野には江戸末期につくられた洋式高炉跡があります。
とても水と空がきれいでした。
e0117183_1431898.jpg
e0117183_1432445.jpg

[PR]
by suiminsha | 2009-12-02 14:33
e0117183_1114434.jpg

[PR]
by suiminsha | 2009-11-26 11:15
今週の土曜日、つまり10月31日、「ニュージーランド代表(オールブラックス)」対「オーストラリア代表(ワラビーズ)」のラグビーの試合「ニッスイ東京2009ブレディスローカップ」が東京・国立競技場で行われます。「ブレディスローカップ」というのは、ニュージーランドとオーストラリアの定期戦の勝者に与えられるトロフィーのことなんだそうです。

と、ここまでは、いちラグビーファンとしての平凡といえば平凡なつぶやきですが、すごいのは次。

試合前の両国の国歌独唱で、ニュージーランド国歌を歌うのが、釜石シーウェーブスの主将ピタ・アラタティニ選手の奥さん、NZでは歌手、テレビのプレゼンテーターとしても活躍するミーガン・アラティニさん。>>詳しくはこちら

南半球2強のゲームが東京で見られるというだけでもワクワクするイベントですが、わがまち釜石にとってもすばらしいニュースをもたらしてくれているわけですね。

かつて、まだ森・松尾両選手を擁していた新日鉄釜石が、ニュージーランドのクラブチーム「ポンソンビー」を迎えてのゲームを、僕の自宅から数分のところにある「多目的グラウンド」で観たときに、子どもごろろに思ったこと、それを今また思い直しました。

「世界とつながっているなあ、釜石」。
[PR]
by suiminsha | 2009-10-27 21:56
思えば、この十数年ぐらいでJ-POPという言葉もしっかりと定着した感がありますが、僕がこの言葉を初めて聞いたのは、確か開局まもないJ-WAVEではなかったかと思います。だから、1989年頃?。僕が大学受験に失敗して、代々木上原のまかない付きの下宿から河合塾に通っていた年。

洋楽中心に流れるJ-WAVEの番組づくりにあって、ほぼ唯一といっていい邦楽を流していた番組がたしか夜の11時ごろに流れる番組で、「J-POP HOUR」と言っていたような。そこで流れる“J-POP”というものも、当時の流行りのものではなく、はっぴいえんどやシュガーベイブのような70年代の日本のロックだったと記憶しています。というわけで、いまだにJ-POPという言葉から僕が連想するのは、90年代や00年代を彩った日本のポップスの数々ではなく、たとえばこんな色あせた曲だったりするわけです。先日、「You Tube」ばなれをほのめかした僕ですが、急にこの曲が聴きたくなって、検索し、一聴し、ここで紹介したくなったんです。そんな夜なんです。



曲は「12月の雨の日」(はっぴいえんど)。ボーカルをとっているのは、われらが釜石南高等学校の偉大な先輩・大瀧詠一御大。
[PR]
by suiminsha | 2009-07-06 21:47
お隣のお国にはプサンという都市があるわけだけど、この「釜山」について、僕は幼い頃から既視感があったんです。その理由がこれ。

e0117183_23232015.jpg


この写真は、地元JR釜石駅のプラットフォームです。「釜」「山」の文字が見えますか。

釜石駅からは「釜石線」と「山田線」の2本が出ておりまして、子どもの頃からこの文字の並びに親しんでいたわけです。ですから釜山市というところも、「かまやま」市だとずっと思っていました。
[PR]
by suiminsha | 2009-05-26 23:32
「僕がいちばん記憶に残っているのは釜石に行ったときだね。体育館みたいなところでやったら、客が全部学生服を着てるんだ。それでステージが終わって翌日、僕らが東京へ帰るために列車に乗ったら、昨日の学生服の子たちが乗ってくるんだ。集団就職なのかな。そのころ、そういうのがあるのか分からないけど、学生時代最後に見るアグネス・チャン。そして東京へ行く彼らと一緒に列車に乗っているバック・バンドの僕たち。すごい印象として残っている。」(『火の玉ボーイとコモンマン』より)

“日本最古のバンド”ムーンライダーズのリーダー、鈴木慶一氏の回想の一節である、1975年。結成まもないムーンライダーズはアグネス・チャンのバックバンドとして彼女のツアーに参加、その一環として、僕の住む街・釜石にもやって来ていたのである。“体育館みたいなところ”というのは、おそらく小川体育館のことだろう。70年代の終わり頃まではこの体育館でもずいぶんとコンサートが行われていたものである。

1975年といえば、釜石の駅前にはまだ製鉄所の煙突が立ち並び、白い煙をもくもくと吐き出していた頃だ。駅のプラットホームからも車窓からも見えていたはず。このいかにも工業都市を象徴する光景と東京へ向かう列車という装置に、慶一氏は自分の生まれ育った東京・羽田と旅の途中の自分たちを重ね合わせ、上のような少々感傷的ともいえる印象を抱かせたのであろうと、これも勝手に僕は想像するのである。

羽田というと空港という連想が働くが、彼の原風景にあるのは中小の工場が軒を連ねていた労働者の街だったそうである。「土の道に、たくさんの工場。これが僕が小さかった頃、一九五〇年代の羽田の風景だよ」「みんな同じ服を着て汗みどろになって機械をうごかしているんだよ。『輝ける未来へ、労働者諸君、漸進しよう』という文字が浮びあがってくるような光景だった」(前掲書)

ところで、慶一氏が言うところの、列車に乗り込んできた“学生服の子たち”というのは、私見では、集団就職ではなく、わが母校、釜石南高校に汽車で通う鵜住居や大槌の生徒たちではなかったか、と思っているのであるが、たとえそうだとしても、もちろんそんなことはどうでもいい。彼の心に釜石の印象が深く刻み込まれていたことが、素直にうれしい、のである。
[PR]
by suiminsha | 2007-03-25 17:12 | 釜石