あった、あった。これだよ。

こないだ、「ドゥ ユー リメンバ、シャララーララ、ララ、ラー」とサビのところだけ、ふいに口ずさんで、そんで、繰り返し歌ってみて、頭から離れないで、でも思い出せなかった曲は。

「ああ、誰の、何ていう曲だっけ?」

そうそう、レックレス・エリックだよ。Wreckless Ericの「Reconnez Cherie」。忘れないうちにリンク貼っておこう。ブログには、こういうポスト・イット的な使い方もあるよね。


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# by suiminsha | 2010-09-28 00:26
(人と話が合ふも合はぬも 所詮は血液型の問題ですよ)?……
「斷片」中原中也 


人と人との相性を血液型で判断する、今で言う血液型占いみたいなものは、
昭和の初年からあったなんて、正直意外。けっこう、この時代にも科学に根拠を求めようととしていたんだね。

でも、中也は、この血液型による判断をわざわざ括弧で括ってクエスチョンを呈しているわけだ。
(そもそも血液型によるこうした診断って科学的か? 科学的根拠があるのか? 統計学的だというのなら、別にそのマジョリティにしゃんと収まる必要なんてまるでないわけだろう? )

だから、中也はこう続ける。
人が合ふも合はぬも、所詮は血液型の問題であって、だから合ふ人と合へばいい合はぬ人とは好加減にしてればいい、と云ってけろけろ出来ればなんといいこつたろう……


そうだよな、中也さんよ、一般論はもうたくさんだよな。血液型による一般論にすがりたいやつは、すがりゃいい。僕は別に文句は言わない。



何を讀んでみても、何を聞いてみても、
もはや世の中の見定めはつかぬ。
私は詩を讀み、詩を書くだけのことだ。
だつてそれだけが、私にとっては「充實」なのだから。

――そんなの古いよ、といふ人がある。
しかしさういふ人が格別新しいことをしてゐるわけでもなく、
それに、詩人は詩を書いてゐれば、
それは、それでいいのだと考ふべきものはある。
「現代と詩人」 中原中也

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# by suiminsha | 2010-09-26 22:21
〇一度知識を咀嚼しないと認識にならない。情報や知識はあふれているが、認識になっていないんですよね。 

〇レコードにA面とB面があるように、人生には両面があるべきだ。

福原義春 資生堂名誉会長 9月5日付『朝日新聞』より 

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# by suiminsha | 2010-09-18 07:38
〇朝起きたら腕が筋肉痛。特に体を動かした覚えもないのに。昨日は何をしたんだっけ? そうそう、ビデオ撮影を頼まれて、1時間ぐらいビデオカメラを不自然な姿勢で持っていたんだった。

〇ゆうべは、ひさびさに学生と話をした。わがまち釜石には大学がないので、ふだん学生と話すことはないのである。上記のビデオ撮影は、東京から来た彼らのコンサート撮影で、コンサートが終わって中華料理を囲んでの交流会があったのだ。

〇以上、今日はファクトのみ書いてみた。いや、「昨日は何をしたんだけ?」というのは、ファクトではない。
体を動かした覚えもないというのもそうかな。主観が思っただけであって、客観的な事実ではない。学生と話をしたことと、わがまちに大学がないのは事実だけど、「“ひさびさに”話した」「“ふだん”学生と話すことはない」というのは、主観による評価だ。So what? なんかつまらにことを書いているな。

〇学生たちと話をしたり、彼らの歌を聴いたりして過ごした時間は、本当に楽しかった。そう、楽しかったら、楽しかったと素直に書けばよいのだ。


【今日のスイミントン】
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# by suiminsha | 2010-09-16 23:50
先日、白井貴子のことを少し書いてから、彼女の動画をあれこれ思い出しながら見ていたら、「Chance!」の、最近のものと思われる演奏があった。なかなか“さびしい”ところでの演奏だけれど、相変わらず、あるいは“もっと深く”心に届く「Chance!」なので、ぜひ紹介したくなって。今じゃ、貴子のことを知らない世代も多くなっているだろうから。いつだって、この人は一生懸命で、そして笑顔を忘れない。そこが好きです。



▼オリジナルも聞いてみてください。(われらが1984年の発売!)



▼アコギ&ピアノの、こんな素敵な演奏もありました。さすが貴子です。


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# by suiminsha | 2010-09-14 22:23
No study is in vain, some are actually boring, though.
God only knows the time it helps you.
It might be after your long journey. Of course, that's the generalities.
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# by suiminsha | 2010-09-07 01:23
NHK-BS2の「BS日本のうた」が、過日わがまち釜石で収録されたものの放映だというので、見ていた。その収録を観覧したうちの母親の解説つきではあるが。で、森晶子が(なんとセーラー服で)ヒット曲「せんせい」を歌い、その流れでメドレー構成の「同級生」「中学三年生」を歌うのを聞きながら思ったこと。

おそらくこの2曲は「せんせい」のヒットを受けてつくられた学園ものなんだと思う。「せんせい」はもちろん知っているが、他の2曲はさすがに知らなかった。でも、それぞれ悪い曲ではなかった。「せんせい」同様に、阿久悠・遠藤実コンビでつくられた曲で、ところどころに良いメロディが出てきた。おそらく、ここで聞かなかったら、こののちこれらの曲に出会う機会はぐんと減ったんだろうな、と思った。つまり、僕が知らない佳曲、良いメロディっていっぱいあるんだろうなってこと。

たとえば同時代だとA級、B級、あるいはC級のヒット曲まで知っているものだけど、時代がずれると、そのBC級まではフォローできていない、あるいは聞く機会がなかったというか。そんなもんだと思うんです。

で、その森晶子の僕の知らなかった2曲を聞きながら思ったことは、これらに出会う機会としてはレコードがあるなってことで、その「レコード=記録」という言葉の重みを改めて認識した。かつて音楽を録音することは、「記録」することだったんだよな、と。CDっていっても、レコードに比べて「コンパクトなディスク」だったという命名で、基本はやはりレコードだと思った。今は忘れさられてしまったレーザーディスクが登場したときのキャッチコピーは「絵の出るレコード」だった。

ところで、先日、20代の友人に僕が持っていた吉田カバンのトートバッグがいいですねなんて言われて、「もともとは、LPを入れるために買ったんだけどね」と言ったら、「LP?」と返されてしまった。ちょっぴり残念だけど、レコードの時代はもう過ぎ去りしものなのである。

でも、「レコード=記録」という言葉の重みは、ことの外、重いと思う。今の音楽の録音はコンピュータを使っていいとこ録りの“ツギハギ”だと聞くけど、せまく暑苦しいスタジオで汗をたらしながら一発録りの〈録音/記録〉にかけていた時代があったわけだ。そして僕はその「記録」こそ、“世界遺産”の一つに入れてもいいんじゃない、と思っている。自然美や建築構造物だけが僕らの宝ものじゃない。

ミシシッピーは今でもブルーズの故郷だが、いつまでもドアを叩けばそれが見つかるというわけではない。昔のブルーズマンやブルーズウーマンのほとんどは死んでしまったり、別の場所に行ってしまった。ミシシッピーの周辺に残ったものもいるが、彼らがブルーズを演奏する場所はめっきり少なくなってしまった。若者たちはギャングの売る銃やクラック・パイプにおぼれ、大都市の誘惑は小さな田舎町の若者の夢を、死と刑務所の日々の悪夢に変えてしまうのだ。〈中略〉ブルーズ! かつてどこでも聴かれたブルーズ……ブルーズマンと、そのギターのまわりに人々が集まって踊ったブルーズは、どこへ行ったのだ? 時は移ろい、ブルーズも様変わりした。若いプレーヤーはレコードでしかその伝統を知らないし、ブルーズという名のもとに、まったく違った音楽を演奏している――「ブルーズに寄せて」Steve Gardner 『旅学 01』より


そして、この、魂の〈記録〉に、こっそりとリンク。
(レコードの話をしておいて、You Tube動画で紹介するのも変な話だけど、don't get me wrong!)


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# by suiminsha | 2010-09-05 21:49