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by suiminsha | 2010-01-28 16:59
ひとり百年読書会。大岡昇平『俘虜記』を読み終えた。

物語としては、昭和20年にフィリピンで米軍の捕虜になった著者の捕虜収容所での体験や見聞が描かれているわけだけど、いちばん印象に残り、最も僕の心にせまり、かつ著者・大岡昇平のドラマを見たのは、あるドイツ人捕虜との交流のところである。

「俘虜のうちにドイツ語を思い出しておくのも悪くないと考え、一日一時間ずつ彼の部屋に行くことにした」著者に、ドイツ人捕虜は「多分彼が小学校のうちに暗唱したものであろう」シラーのバラードを教えるが、これに対して著者が独訳してそのドイツ人に紹介したのは、中原中也の詩「夕照」であった。

まさか、この小説の中で、中原中也に出会うとは思わなかった。言いかえれば、若き時代の交流の中で中原のことを煙たがっていたと僕には感じられた大岡昇平が、中原が死んで10年もたって(彼は昭和12年に30歳で死んでいる)、自分も40歳近い中年と言われるような齢にさしかかって、戦争に駆り出された異国で、しかも戦争捕虜という非常に特殊な境遇の中で、自身はフランスをはじめ東西の文学に通じていたはずなのに、あえて中原中也の詩を選択したことに、僕は意外性を感じた。でも、うれしくなった。

大岡昇平と中原中也は、大岡が(旧制)高校生だった頃の昭和初年に、彼のフランス語の個人教師をやっていた小林秀雄を通じて知り合った。小林や大岡の友人だった河上徹太郎らとともに酒を飲んでは、文学や世界を語るようになるが、学生の大岡と同世代ながら、既に詩人たるべく学校を離れた中原は、まあ飲んじゃあ大岡らに文学論をふっかける。つまりは酔いにまかせて絡むわけだ。腕っぷしなど弱いくせに手が出ることもあった。そのうち、みな嫌気がさして中也から離れていってしまう。

終戦して復員というか帰国した後の、昭和22年1月、大岡は中原の生涯にせまるべく、中原の故郷・山口を訪ね、中原家に逗留する。何が彼を山口に、あるいは中原へ向かわせたのだろうか。

その成果となった、評伝『中原中也』で、彼は中原との関係を端的に述べている。
我々は二十歳の頃東京で識り合った文学上の友達であった。我々はもっぱら未来をいかに生き、いかに書くかを論じていた。そして最後に私が彼に反いたのは、彼が私に自分と同じように不幸になれと命じたからであった。

さらに続けるには。
私も私で忙しいことがあるつもりであった。もっとも何のために忙しいか、中原が何のために自分が不幸であるかを知っていたほどには知らなかったのであるが――そして彼の死後十年たった今日、私に彼の不幸の詳細を知りたいという願いを起こさせ、私をこうして本州の西の涯(はて)まで駆るものが何であるか、それも私はよく知らないのである。


遠くフィリピンの空の下、大岡は中原の詩に何を感じ、中原の何を思い出したのだろう。

中原中也 (講談社文芸文庫)

大岡 昇平 / 講談社


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ユキヒロのサングラスは、やっぱり〈ダブルファンタジー〉の頃のジョン・レノンのやつを意識していたのかなと思いながら見ていたけど、このパフォーマンスは、1979年のNY公演。79年といえば、まだジョンは生きていたじゃないか。〈ダブルファンタジー〉はまだ出ていない。公の場には出ないで息子のショーンのためにパンを焼いていた時期だ。

ところで、いったいジョン・レノンはYMOを聞いたのだろうか。YMOがジョンやビートルズから影響を受けているのは分かっていたけど、ジョンからYMOへのアプローチというのは、今まで考えたことなかっただけに、想像しただけで不思議な感じがする。頭の中で年表がうまく描けない。同時代的歴史の意外性。

ついでながら、若き矢野顕子がやけに魅力的。オリエンタル・ビューティー、イズント・イット?
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by suiminsha | 2010-01-26 01:11
朝日新聞の「百年読書会」の8月のお題で、途中で放り投げていた大岡昇平の『俘虜記』を、年が明けてから再び読み進めています。

しかし、慌てるのはよそう。五十年以来わが国を専ら戦争によって繁栄に赴いたのは疑いを容れぬ。してみれば軍人は我々に与えたものを取り上げただけの話である。明治十年代の偉人たちは我々と比較にならぬ文化水準の中で刻苦して自己を鍛えていた。これから我々がそこへ戻るのに何の差支えがあろう。

「戦争」とか「軍隊」と言う言葉を別の言葉で置き換えれば、今の状況にあっても十分共感できる、敗戦を知ったときの著者のつぶやき。

俘虜記 (新潮文庫)

大岡 昇平 / 新潮社


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by suiminsha | 2010-01-21 16:42
足場が組まれはじめたようだけど、いよいよ解体作業に入るのか。

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思い出が胸にある者の個人的な感傷だと言われればそれまでだけど、
なかなか味のあるデザインだと思うし、
戦後集合住宅の初期型のモデルとして価値も十分あると思う。
維持管理をしながら、じっくりと新しい活用方法を考えるわけにはいかないのだろうか。

涙のスクラップ・アンド・ビルド。
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by suiminsha | 2010-01-19 16:34
You tubeで数曲聞いているうちに「関連動画」のところに「The Love I Lost」(ハロルド・メルヴィン&ザ・ブルー・ノーツ)の文字が目について、未聴のドーナツ盤音源だったので久々にこの曲を聞いた。



やっぱりかっこいいな、なんて聞いているうちに、どんな様子で歌っているのか気になって、また「関連動画」から下の動画をクリック。ブルー・ノーツのボーカルだったテディ・ペンダーグラスは車椅子で歌っているではないか。

彼に何があったのか気になりつつも、思うままに体を動かせない中でもときおり笑みを見せながら歌う姿に静かな感動を覚えた。大げさとは分かっているけど、“崇高”という言葉さえ頭をかすめたぐらいである。そしてペンダーグラスのことを検索してみると、なんと先週13日に死んだという。結腸ガンを患っていたということだ。車椅子の理由は、82年に交通事故にあって下半身が不随になっていた。



何かが僕を引き寄せたとまでは言わないが、である。ちょっと神妙な気持ちになってしまう。

交通事故のことも知らなかったぐらいなので、この「The Love I lost」の他はそれほど気にとめていたわけではなかったわけだけど、なぜこの曲に行きついたのかといえば、僕が私淑するニック・ロウの次の一言だった。

「あの曲(suimnsha注・『恋する二人』)は、ハロルド・メルヴィン&ザ・ブルー・ノーツの〈ザ・ラヴ・アイ・ロスト/The Love I Lost〉から頂いたんだ」。ニック・ロウはそう告白している。
『パブ・ロック革命』ウィル・バーチ

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by suiminsha | 2010-01-18 22:17 | 雑記


今年はじめての投稿です。今年もよろしくお願いします。

で、なんでオアシスの「whatever」なんだろう? 
Don't think seriously. 今年は直観を信じよう。ただ、さっきからメロディが鳴っているだけさ。

 X X X X X X

やはりここは少しでも「Something better beginning」らしくするために、二ール・イネスの「How sweet to be an idiot」もぜひ。


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by suiminsha | 2010-01-14 23:20 | 雑記