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落語である。柳家喬太郎の「午後の保健室」。ぼくはあまり創作落語って好まないのだけど、この人のは別。初めて聞いたのが、この作品。ぶっとびました。この人が演じるおやじキャラ、好きですねえ。ちょっと自虐的な突っ込みも入る、ながーい枕も喬太郎の大好きなところである。噺だけ聞きたい人は3/3からどうぞ。






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7月も、もう最終週。先延ばしにしていた『坊っちゃん』である。書きたいことを正直に書こうとするほど、言葉が出てこない。でも、オブラートで包むように書いたのでは、それこそ「坊っちゃん」に厭きられるか。

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“本紙の読書会”も日曜ごとに読んでいたが、その中で「『坊っちゃんは田舎者をどこか馬鹿にしていて、地方に住む自分としては良い気がしなかった」といった内容の投稿がいくつか紹介されていた。
 投稿者の気持ちも分からんではないが、「江戸っ子で、元旗本の家の次男坊で、物理学校を出た『坊っちゃん』」が、いいものはいい、悪いものは悪いと極端なまでに自分の尺度を持っているところに、この小説の小気味よさがあるのじゃないかな。
 そして、「こんな土百姓とは生まれからして違うんだ」と、今の世の中じゃとても言えないようなことを言ってのける一方で、どこか人情もろく、人を見る目の確かさが坊っちゃんの魅力だ。
「教育もない身分もない婆さんだが、人間としては頗る尊い」と清のことを思う一文にもそれは現れていると思いし、そして、僕がいちばん好きな次の山嵐とのやりとりに彼の気持ちの良さを感じるのである。
「おれは江戸っ子だ」
「うん、江戸っ子か、道理で負け惜しみが強いと思った」
「君はどこだ」
「僕は会津だ」
「会津っぽか、強情な訳だ」

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坊っちゃん (新潮文庫)

夏目 漱石 / 新潮社


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『宿老・田中熊吉伝 鉄に挑んだ男の生涯』(佐木隆三/文芸春秋)を読んでいて、面白いエピソードがあったので、ここで紹介したくなって。

この本自体は、九州福岡の官営八幡製鉄所の草創期より鉄づくりに携わり、「高炉の神様」「宿老」としてあがめられるようになった田中熊吉の一代記なのだが、今日紹介したいエピソードは、彼の生涯に直接関係するものではない。大正元年、田中がドイツのオーバーハウゼン市にあるGHHへの派遣団の一員として出張を命じられ、ドイツの鉄鋼技術を学ぶべく日本を出発した派遣団がその途上、シベリア鉄道乗車を前に、ウラジオストックに寄った際の一行の会話にそれは現れる。

一行のなかの物知りたちが、会話をはずませた。
「明治二十四年五月、ロシア皇太子のニコライ二世が、国賓として日本に立ち寄ったのは、シベリア鉄道起工式にのぞむ途中じゃった」
「神戸から京都に向かい、琵琶湖を遊覧した帰りに、滋賀県巡査の津田三蔵が、人力車上のニコライの頭部めがけてサーベルで切りかかった。西南戦争に従軍した三蔵は、西郷隆盛がロシアへ亡命して将軍になり、ロシア艦隊で帰国するちゅう噂を、信じ込んでいたという
『宿老・田中熊吉伝 鉄に挑んだ男の生涯』(佐木隆三/文芸春秋)


西南戦争のおりに鹿児島で自決したはずの西郷がロシアにわたって将軍になる――荒唐無稽ながらどこか興味をそそられるこの逸話を聞いて、よく似た話を思い出す人も多かろう。「義経の北行伝説」。兄・源頼朝に追われ、身を寄せていた奥州平泉で果てたはずの義経が、密かに平泉を逃れ、三陸海岸を北上、蝦夷、樺太と渡り、チンギス・ハーンになったという伝説である。

どちらも義将の死を受け入れられないのちの時代の人たち、彼らの死ののちの世の動きに不満のある人たちがまことしやかに“編集した”ものがたりなんだろうが、僕はこうしたたぐいの異伝がめっぽう好きだ。僕もなかなか“判官びいき”な人なのかもしれない。

〈津田が切りつけた理由は、本人の供述によれば、以前からロシアの北方諸島などに関しての強硬な姿勢を快く思っていなかったことであるという。また事件前、西南戦争で敗死した西郷隆盛が実はロシアに逃げ延び、ニコライと共に帰って来るという噂がささやかれており、西南戦争で勲章を授与されていた津田はもし西郷が帰還すれば自分の勲位も剥奪されるのではないかと危惧していたという説もある。ただしニコライを殺害する意図は薄かったらしく、事件後の取り調べにおいても「殺すつもりはなく、一本(一太刀)献上したまで」と供述していたと言う記録もある。他にも当時はニコライの訪日が軍事視察であるという噂もあり、シベリア鉄道もロシアの極東進出政策を象徴するとして国民の反発があったことは確かである。「大津事件」事件の背景 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』〉
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by suiminsha | 2009-07-26 12:08
本社のリンクを貼っておきます。
酔民社
人生とは美酒の如し
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by suiminsha | 2009-07-24 09:03
若いぼくが学生のころ、太宰はこう語ったもんです。〈僕の文学はエキゾチズムではなく、エゾ(蝦夷)チズムだ〉と。おれのアイデンティティは蝦夷にあるというわけ。(堀田善衛)『朝日新聞』夕刊1991年8月5日

「撰ばれてあることの 恍惚と不安と 二つわれにあり」だけが、太宰を読む際のキーワードだとばかり思っていただけに、“エゾチズム”という言葉が彼の口から出たということは意外でもあったけど、やはり“蝦夷”にアイデンティティを感じるぼくにはうれしくもあったわけだ。
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by suiminsha | 2009-07-21 23:51
今日7月14日は、フランス革命記念日。フランス革命の始まりとして知られる、バスチーユ監獄の襲撃の日です。

あまり日本人にとっては、もちろん僕にとっても、あまりなじみのない記念日ですが(そもそもフランス革命でうたわれた「自由・平等・博愛」を享受すべき“われわれ”に、われわれ有色人種は入っていなかったという説もあるとか)、革命記念日と聞いてぼくが思い出すのは、シャンゼリゼ通りの青い空だったりもします。

かつてパリに旅行したとき、それは今日の記念日の数日前だったと思います。シャンゼリゼ通りを歩いていたら、ちょうどフランス空軍が革命記念日の予行飛行をやっていました。その日は抜けるような青空で、「オー、シャンゼリゼー」なんて人に聞こえないようにほんとにベタな歌をハミングしていたら、急に飛行機の飛行音が聞こえてきて、周りからあがった歓声にも驚きながら空を見上げると、3機の戦闘機がそれぞれ青・白・赤色のけむりによって航跡を残しながらシャンゼリゼ上空を通りに沿って並列飛行していったのでした。

〈パリ祭(ぱりさい)は、フランスで7月14日に設けられている国民の休日(Fête Nationale)。1789年同日に発生しフランス革命の発端となったバスチーユ監獄襲撃および、この事件の一周年を記念して翌年1790年におこなわれた建国記念日(Fête de la Fédération)が起源となっている。

7月14日には、フランス各地で一日中花火が打ちあげられる。また慣例として消防士はダンス・チーム (bals du 14 juillet) を組んで市民に披露する。

午前中にはパリで軍事パレードが開催され、フランス大統領の出席のもとシャンゼリゼ通りを行進する。
パレードはエコール・ポリテクニーク、サン・シール陸軍士官学校、フランス海軍兵学校の生徒による行進で幕を開け、歩兵部隊、機械化部隊が登場する。フランス空軍のアクロバット飛行チームであるパトルイユ・ド・フランスも演技飛行をおこなう。近年においてはフランスの同盟国の要人を招待することが慣例となっている。2004年には英仏協商の100周年を記念して英軍の各部隊 (イギリス海兵隊、王室騎兵隊騎乗連隊、近衛擲弾兵連隊、王立騎馬砲兵国王兵団連隊) がシャンゼリゼを行進し、英空軍のレッド・アローズが演技飛行をおこなった。2008年にはPKO部隊もパレード参加し、自衛隊ゴラン高原派遣部隊から4名の自衛官が参加した。

パレードにはフランス共和国親衛隊およびパリ消防工兵旅団、フランス国家警察も参加する。行進の最後尾は常にフランス外人部隊が務め(正規軍の120歩/分に比べ、外人部隊では88歩/分と遅い)、沿道からは大きな歓声が浴びせられる。

その後、フランス共和国大統領の演説がおこなわれる。パレード終了後にはエリゼ宮殿において茶会が催される。パリ祭当日にはツール・ド・フランスが開催されており、フランス出身選手はこの日のレースを特別視して勝利を収めようとすることが多い。出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』〉
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by suiminsha | 2009-07-14 11:48
今日は、妹夫婦、おい、メイがいるということで、昼はみんなでワタクシ作のつけ麺をつつこうと決定。現在、つけだれのモトとチャーシューを制作中なのでR。(古いRの使い方だなあ、とお思いでしょうが、でもちょっと使ってみたくなって)

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by suiminsha | 2009-07-12 11:05
先日(6月7日)紹介した『鴨川ホルモー』。今日、図書館で『朝日新聞』の縮刷版を繰りながら調べものをしていたら、同小説の作者・万城目学さんのインタビューに遭遇。ついでとばかりに読んでみると、作中はもちろん、表紙イラストでも存在感を発揮している「ちょんまげ高村」に、なんとモデルがあったとの記述があるではないか。

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映画『鴨川ホルモー』での高村


京都大学内のサークル「京大青龍会」を舞台に展開されるこの物語。下記インタビュー記事が指摘するように、この小説には「イカキョー(いかにも京大生)スタイル」「喫茶店の進々堂」「百万遍交差点」など「京大生になじみ深いキーワードが頻繁に登場」するほかにも、実際に京大の空気をかいだ者でなければ分からないような作中人物の行動も見られる。今にしてみれば、高村の“ちょんまげ”のその一つだったわけだが。

ご自身が京大卒でもある万城目さんは、このインタビューで学生時代のことも語っている。

万城目さん自身、大学時代にはサークルで「アホなことをまじめに喧々囂々(けんけんごうごう)と議論していた」という。体育の授業に突然ちょんまげ姿で現れ、そりあげた頭頂部を真っ赤にしながらサッカーのヘディングをする学生もいた。
『朝日新聞』2007年3月2日夕刊


このような奇行からは(高村の場合は置いといて)、かつて弊衣破帽で俗世とは一線を画してまちを闊歩した旧制高校生のような、どこか「おれたちは違うんだ」というある種の意識を感じないでもない。万城目さんは、東京に移って7年ほどして「京大での出来事が“普通でない”と少しずつ分かっていた」とも語っているが、いずれにせよ、「さすが京大!」と思わせつつ、ちょっぴりうらやましくもあるエピソードである。
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by suiminsha | 2009-07-09 17:59
思えば、この十数年ぐらいでJ-POPという言葉もしっかりと定着した感がありますが、僕がこの言葉を初めて聞いたのは、確か開局まもないJ-WAVEではなかったかと思います。だから、1989年頃?。僕が大学受験に失敗して、代々木上原のまかない付きの下宿から河合塾に通っていた年。

洋楽中心に流れるJ-WAVEの番組づくりにあって、ほぼ唯一といっていい邦楽を流していた番組がたしか夜の11時ごろに流れる番組で、「J-POP HOUR」と言っていたような。そこで流れる“J-POP”というものも、当時の流行りのものではなく、はっぴいえんどやシュガーベイブのような70年代の日本のロックだったと記憶しています。というわけで、いまだにJ-POPという言葉から僕が連想するのは、90年代や00年代を彩った日本のポップスの数々ではなく、たとえばこんな色あせた曲だったりするわけです。先日、「You Tube」ばなれをほのめかした僕ですが、急にこの曲が聴きたくなって、検索し、一聴し、ここで紹介したくなったんです。そんな夜なんです。



曲は「12月の雨の日」(はっぴいえんど)。ボーカルをとっているのは、われらが釜石南高等学校の偉大な先輩・大瀧詠一御大。
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by suiminsha | 2009-07-06 21:47
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by suiminsha | 2009-07-05 15:49