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図書館で手帳に書きものをしていたら、いきなり「バリバリバリ!!!」って。本棚の本が一斉に鳴り始めたのか。2階吹き抜けの空間には、ほんとうに「バリバリバリ!!!」って音が鳴り響いたんです。事なきを得たからだけど、迫力ある地震でした。すぐに閲覧室にやってきてくれた職員のみなさん、ありがとうございました。

それから自宅に戻って、仕事場兼寝室の状況を確認。大事ありませんでした。
(わが釜石では震度3だったとのこと)

今日はほんとうに久しぶりの快晴で、今季初めてTシャツで過ごせたいい日だったんですけどね。今また、先ほどの一瞬の恐怖なんてなかったかのように、あたりは静か。からすが時折「かあ」と鳴くだけ。

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by suiminsha | 2009-06-23 17:26
テレビ離れをしてから久しくなるが、昨年PCを買い替えて「You Tube」が見られるようになって以来、ネットを見ている時間が増えている(このブログにも「You Tube」へのリンク貼り付けが多いし)。でも、さすがに気になってきた。仕事上、PCと向かい合うことは避けられないわけだけど、仕事の合間、寝るまでの時間などにも気がつくとネットを見っぱなしということもしばしば。これはいけない。だいいち、机に張り付きっぱなしじゃないか。梅雨のせいにはすまい。

先日の休みの日の朝、やるべき仕事もないのでPCの電源を切った。午前中のうちにPCの前に座って、無意識的にマウスに手をかけたときには、われながらあきれたというか怖くなったというか。でも顔は半ば笑っていた。

そんな中、「Amazon」(!)を見ていた僕をこの本が誘った。

思考・発想にパソコンを使うな (幻冬舎新書)

増田 剛己 / 幻冬舎


内容(「BOOK」データベースより)
あなたの思考・発想を凡庸にしているのはパソコンだ!コピー&ペーストで、記憶力、構成力、表現力が衰える。パソコンは大量の情報の収集・整理には便利だが、知的創造には不向き。そこで「手書きノート」だ。ふと浮かんだアイディアは、断片をメモするだけでなく、可能な限り文章化する。文章にすれば記憶に定着しやすいし、そのプロセスが、自己分析力と他人に伝える力をつける。漱石、熊楠から、野村克也監督、中村俊輔選手まで、古今各界一流人の使えるノート術も一挙公開。

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僕は正直言って元来的に「メモ魔」ではないのだけど、「気がついたことをどんどん書こう」と、とにかく思わせる一冊。ここのところずっとA5判のノートを使っていたのだが、A6判もさっそく購入(実践できたかどうかはのちの評価にまかせるとして、読後の妙なやる気の高揚も“リーディング・ハイ”の一つである)。

原稿を書くにしても、確かに最近「メモ」「取材ノート(メモ)」からいきなり「ワード」に書き始めるというパターンが多くなっていたので、「手書きノート」という原点を思い起こしながら原稿書きのプロセスを見直す良い契機にもなった(著者の言うとおりだ。「取材はメモ、あとでまとめるのがノート」である)。

あと、散歩も。A6ノートを携帯して。そう、梅雨のせいにしちゃいけない。
余談を少し。やってみてわかったが、散歩というのは知的作業の助けになる。永井荷風も散歩の記録を日記にしているが、歩いているときには、机に向かっているだけでは浮かばなかったような発想が浮かんだりするし、混乱していたものが整理されたり、無駄に悩んでいたことから解放されたりもする。(同書より)


摘録 断腸亭日乗〈上〉 (岩波文庫)

永井 荷風 / 岩波書店


摘録 断腸亭日乗〈下〉 (岩波文庫)

永井 荷風 / 岩波書店


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by suiminsha | 2009-06-23 00:37 | 雑記
『朝日新聞』による企画「百年読書会」の7月のお題は、『坊っちゃん』(夏目漱石)。

既読の作品でも、この企画にのっかって再読することにしているので、先ほど本棚から見つけてきました。確か中学校2年生のときに買ったもの。有名な冒頭の「親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりしている」から数ページが抜粋されて国語の教科書に載っていて、それで全編を読もうと思って買ったのだと記憶しています。

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発行年を見ると、昭和57年。『坊っちゃん』は文庫本の中でも薄い部類とはいえ、「¥160」は安かったですね。こんどはどんな読書になるやら。

このあいだの『あ・うん』の余韻からか、新潮文庫のえんじ色の背表紙が並ぶ中から、よせばいいのに『それから』も一緒に本棚から抜き出してきました。

それから (新潮文庫)

夏目 漱石 / 新潮社


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久しぶりに胸をどきっとさせられた、きれいな女性でした。

作家・山川健一さんのブログの6月12日の記事「ロッド・スチュワートに学ぶ愛の言葉/ I Dont Want To Talk About It」で、その末尾に「 I Dont Want To Talk About It」の動画のリンクが貼られていたんですけど、僕の心をとらえて、あんぐりと口をあけさせたのは、この曲をロッドとデュエットしていたエイミー・ベルという女性シンガーです。



エイミー・ベルは、グラスゴー出身のシンガーソングライター。そう言えば、ロッド・スチュワートもスコティッシュですね。彼女のデビューシングル「Didn't I say」は、スコットランドっぽさを感じさせるタイプの曲ではないけれど、ベースが刻むリズムがきいた、アコギのアルペジオによるフレーズもちょっぴり怪しげな、シェリル・クロウとかフィオナ・アップルとかを思わせる“かっこいい系”な曲と思います。


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「百年読書会」6月の本は、向田邦子の『あ・うん』

僕は子供のころから、TBSで放映されていた久世光彦演出の「向田ドラマシリーズ」が大好きだったのだけど、小説としては今回はじめて向田作品を読みました。『あ・うん』は2000年にドラマ化されたようですが未見です。

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「男2+女1」の三角関係に悩んだ経験のある男にとって、正直なところ、この話は心痛い。門倉の気持ちも、水田の気持ちも分かる。どちらにも“肩入れ”が、できない。たみは僕にも魅力的だ。僕はさっぱり成長していないらしい。

そうだ、描写から彼らの心情を推し量るといった “読み解き”は止めよう。そんな読み方は似合わないのかもしれない。本当は水田とたみのなれそめも気になるが、昭和初期という、江戸と東京がまだまだ日常の中で交差していた時代の空気に身を浸そう。それに、ちょっととぼけた味のある初太郎や、直情型だけど人のいい禮子、おおらかな包容力を見せる君子など、どこか和ませてくれる脇役陣も揃っているじゃないか。

中でも、門倉の“三号さん”が発覚したときに“二号”の禮子が発した、まるで江戸落語のような威勢のいい次の一言は痛快だ。
「三軒目のうちが三軒茶屋なんて、
ふざけるのも大抵にしろっていうのよ」
 いよっ、禮子さん!

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あ・うん (文春文庫)

向田 邦子 / 文藝春秋


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本書は、多くの文人や財界人に愛された銀座のクラブ「らどんな」のママ、瀬尾春(1919-1991)の一代記である。

昨年にこのブログで紹介した『阿片王』(佐野眞一)に次のようなくだりがあったので、満州、上海で活躍した主人公・里見甫に関する記述がこの昭和史の一面を彩るノンフィクションにもあるかなと思い、手にとった次第である。
もう一人、身元が判明した男に石丸清がいる。石丸は世田谷区用賀の高級住宅に住み、銀座のバー「らどんな」の名物ママ、瀬尾春のパトロン兼愛人だった。瀬尾は“上海お春”の異名ををとった上海時代、児玉機関の一員だった石丸と知り合い、戦後再会して男女の仲となった。(中略)「らどんな」でトラブルがあったとき、里見が出て行って揉め事を収めたこともあり、里見は酒も飲めないのに、「らどんな」にはよく行っていたという。(『阿片王』(佐野眞一/新潮文庫))

『阿片王』の著者・佐野眞一氏が里見甫の人となりを取材する中で入手したのが、里見氏の遺児の奨学基金の発起人名簿であり、岸信介、児玉誉士夫、笹川良一、佐藤栄作など大物も名を連ねる、この発起人たちの身元を1人1人洗っていくことが初期取材の大きなテーマの一つであった。引用文にほどなく見える“身元”というのはそういうことである。

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里見甫(1896-1965)

結論から言うと、『銀座らどんな物語』には里見甫の名前は出てこない。しかしながら、瀬尾春が最初の店を持つ際の資金の出所に関するエピソードは『阿片王』の視点から読めば興味あるものだった。

もともと石丸は、児玉機関の「やり手として有名な」機関員であり、昭和20年の終戦の後、瀬尾の日本への引き揚げをアレンジしたのが石丸であった。そのとき、瀬尾は石丸から「バターほどの大きさの木箱を渡され」、日本に持ち帰るよう依頼された。そして日本で再会し、共同生活が始まったのちのある日のこと、石丸は瀬尾がその木箱を無事に預かっていることを知ると、箱の中身がラジウムであることを明かす。そのラジウムを香港で売った代金の一部が開店資金となったのである。

少なくとも朝鮮戦争が始まる昭和25年以前の戦後間もない日本にあって、香港でラジウムをさばいて大金を得る。ていうか、ラジウムを手にできるということ自体、僕をはじめ一般の人には思いもよらないだろう。そんな終戦前の上海で暗躍した人物ならではと言っていいふるまいは、大阪万博の同時代に生まれた僕にはまるで昔の日活映画でも見ているような、いかがわしくも鮮やかに映るのである。戦後はひっそりと暮らしながらも有名人が集う「らどんな」に“よく顔を出した”里見甫、そして里見遺児奨学基金の発起人となった石丸清。2人の戦前・戦中の中国大陸での様子と、戦後も続いたであろうつながりから推察すれば、もしかしたら、このラジウムの取引には里見甫も絡んでいたのかもしれない。そんな想像をたくましくすれば、戦後史のまだまだ闇に埋もれた部分をもっと覗き込んでみたいという好奇心はますます強くなってくるのである。
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by suiminsha | 2009-06-14 17:21 | 昭和史
誰かの文章や発言に接して、「あ、ちょうど自分も同じようなことを考えていた」と思うときってありますよね。中でも、その人が自分が尊敬している人だったり、好意的にとらえている人だったときには、「この人も考えていたんだあ」「お、シンクロニシティ!」と勘違い的にうれしくもあり。

今日もそんな文章に出会えました。糸井重里さんのHP「ほぼ日」の糸井さんによる日替わり記事「今日のダーリン」でのこと。

糸井さんは、以前「ほぼ日」でも紹介してきた「最低限必要な水や肥料で、植物を育てる」永田農法をひいて、“情報の永田農法”ができないものかと言います。

これ、人間と情報の関係に置き換えたくなるんですよね。
 だって、見すぎ、読みすぎ、聴きすぎ、調べすぎだもん。
 消化できる分量を超えた情報を入力して、腹を壊して、
 やっと生煮えの出力をしているのが現代の人でしょう。
 その反対のことを、やってみたらどうかなぁ‥‥って。
 たった一冊の文庫本かなんかを、選んで、
 それだけを1年とか2年とか、何度でも読むわけです。
 最初は、へーっと思って、次にわかった、と思って、
 その次にまた発見があって、さらに次に発見があって、
 やがて飽きて、それしか本がないことを嘆いて、
 それでも同じ本を読み続ける、というようなこと。
 いつか、時期をみて、やってみたいと思うんです。
 でもねぇ、いまだ、とは、いつも思えなくてねぇ‥‥。(6月12日の「今日のダーリン」より)


ちょうど、僕も数冊でいいから数年単位でじっくりと読みたいなと思っていたところだったんです。だから、今日のこの糸井さんの文章に「あ、俺と同じようなことを考えていたのか」と半ばうれしくなったのですが、そこは糸井さんが何枚も上で、“生煮えの出力をしている”という指摘にガツンとやられた思いもしたわけです。「じっくり精読したいのはなぜ?」というところで、僕の場合、うまく言葉にできていなかった。

でも、その「なぜ?」のきっかけとなった一つをここで書いておくと、僕が河合塾で英語を教わった芦川進一先生が主宰しておられる「ドストエフスキイ研究会」の存在を知ったことも大きかった。現実的に僕がその研究会に加わることはできないが、その精神を実践することの意義はあるだろう、と自問。

今、「ゴマかさずに、コツコツと」という芦川先生の心のこもった叱咤激励の言葉を思い出すとともに、“生煮え”じゃなく、しっかりと煮込まれた出力、つまり血肉となった言葉で語るためにも、そんなに本格的じゃなくてもいいから“身の丈にあった情報の永田農法”が僕もできないものかと梅雨の晴れ間に考えている。

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言葉にしたとたん、頭の中でなり始めました。ついでと言っちゃなんですが、オマケです。
[The Police / Synchronicity]

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by suiminsha | 2009-06-12 12:56
まったくこの人からは、ますます目が離せない。このブログでもたびたび取り上げている英国の奇才(と僕が勝手に呼んでいるだけだけど)、スティーヴィー・リックスである。

改めて彼のことを紹介すると、彼は日本風に言うところの“モノマネ・タレント”。そのレパートリーは広く、ビートルズの4人、ミック・ジャガー、キース・リチャーズ、デイヴィッド・ボウイ、エルヴィス・コステロ、ギャラガー兄弟などなどなど、大物英国ロックスターと言われる人たちのほとんどをカバーしているのだ。そして、そこはやはり“モノマネ”、あるいは“パロディ”というべきか。どのミュージシャンのネタもどこか皮肉ったような笑いが見えるんですね。

なかでも、いちばんの驚きはジョン、ポール、ジョージ、リンゴを、それぞウィットあふれるパフォーマンスに仕上げていることなのだけど、奇才は単なるモノマネでは飽き足らないのか、今度は「The Doo's」なる架空のバンドを作り上げたようだ。要するに、ジョン、ポール、ジョージ、リンゴといったふうの人たちが(それぞれ名前も付いているよ)、ラトルズみたいにいかにもビートルズ風の曲を演奏しているわけだ。日本でいえば、ミラクルひかるが、いかにも宇多田ヒカル風なオリジナル曲をあのピンクの衣装で歌っているようなものか。

まずは、“エド・ガリヴァン・ショウ”から。エド・サリバン役もスティーヴィーがこなしています。



おそらくバンド名「The Doo’s」の由来については、彼がポール・マッカートニーのまねをする際に必ず入れるフレーズ、“ドゥ~~”から来ているのでしょう。次の曲は、ほんとポールが歌いそうな曲になっています。



やっぱり最後に、“ドゥ~~”出ましたね。
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昨日ふれた『鴨川ホルモー』の表紙の4人がどうも気になって、今しばらく考えを巡らせてみた。

やはり大きな決め手に欠けるものの、先頭の男がスガ氏、3番目が安倍じゃないか、したがって先頭から<スガ氏―高村―安倍―楠木>ということですね。

理由は、スガ氏が「ウェービーな髪」であること、また彼が京大青竜会の良くも悪くも“先導者”であること。一方の3番目の男は、楠木さんがつくってくれたお守りを持っていること。

ちなみに、映画の公式サイトは、こちら
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by suiminsha | 2009-06-08 22:04
サッカー日本代表がワールドカップの本大会出場を決めたことは、さほどサッカーに関心のない僕にもうれしいニュースである。そんな僕のひいたのが、中村俊輔選手のコメント。フリーランサーとして仕事をしている僕だって、一つのプロジェクトを複数の人たちと進めることも少なくない。そこはチームプレーだ。「おれが、おれが」ではなく、また、自分を殺してまわりに合わせるというのでもなく、まわりの個性を見極めながら、その中で自分を生かすこと。あるいは、「個」と「個」の有機的な相互作用による全一的なダイナミズム。俊輔選手のコメントには、サッカーだけでなく、これからの時代に必要な、さまざまな仕事や活動に生かせるヒントがつまっていると思う。ちょっと長いが、ぜひその一部を紹介したい。

岡田さんが監督になって初めて代表に招集されたとき、自室に呼んでいろいろと話をしてくれた。「こういうコンセプトでこういうサッカーがしたい。それについてきてくれるか」と。岡田監督のコンセプトとは一言で言えば「全員守備、全員攻撃」のこと。自分なりに準備をしてきていたけど、最初にきちんと話をしてくれたので、凄く対応しやすかった。

 最初に招集されたときは4―4―2で、セルティックと同じ右をやらせてもらったから、自分としてもプレーしやすかった。とにかくまず周りの動きを把握しつつ、その中で自分の色を出していく。その順番だけは間違えないようにした。以前はいかに自分を良く見せるかに集中していた。でも、セルティックで得た経験から、大事なことは自分だけを良く見せることではなく、集団の中でどれだけ見せられるかだと分かった。自分のプレーばかり見せようとすると、そのときは良かったとしても、必ずどこかで引っかかる。そうじゃなくて、近くの人と連動して良いプレーをして、その中で自分をアピールすることが大切だと思う。

 よくマスコミからは自分がチームリーダーみたいに言われるけど、自分ではそんな気は全くない。ただ、気が付いたことがあったらどんどん他の選手に話すようにはしてきた。「オレはこういうプレーしかできない」というのではダメ。集団の中で自分は何をすればいいのか、周りの状況を読める人間が必要。試合終了のホイッスルと同時に味方選手に自分の意見をぶつけたこともあったけど、意見交換は大切なことだと思う。自分自身も他の人からの指摘は聞くし、自分で反省もする。そういう作業の積み重ねが今回の結果(予選突破)につながったと思っている。

 もちろんW杯は予選を通っただけじゃ意味がない。あと1年でさらにレベルを上げるためには、もっと強い相手と試合をする必要がある。9月にはオランダとの試合が予定されていると聞いたけど、例えばその試合で0―5や0―7で負けてもいい。でも、そこで今やっているサッカーが間違いだったと思うんじゃなくて、自分がどうすればよかったのか、相手の速さについていくにはどうしたらいいのか、個人じゃなくてチームとしてどう対応すればいいのか、それに気が付けばいい。

 もう1つ大事なことは、チームの雰囲気を良くすること。ささいなことだけど、合宿の時の食事はバラバラじゃなくみんなで1つのテーブルを囲むとか、部屋のドアは開け放っておくとか、レクリエーション用に野球盤を置くとか、朝全員で一緒に散歩するとか。そうやってチームが1つになるし、こういうことが大切だと思う。ドイツ大会の時はあまりそういうことがなかった。今回はそういう雰囲気もつくっていきたいと思っている。 2009年06月07日「スポニチ」ウェブニュースより  太字強調はsuiminsha

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