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先日は、話し言葉のことについて書いたが、今日は書き言葉のこと。

「話」のときは、余計なことを言ったり、あるいは言い足りなかったりして、後悔したという内容であったが、「書」の場合は、ニュアンスのことである。こうやって文章を書いているように最近では推敲も楽にできるので、書きすぎや書き漏らしは大分解消されると思うのだが、文章のニュアンスにはけっこうそのときの感情や普段は見えない深層的な感情もつい見えてしまうものなのだと思う。最近の例で言えば、死刑執行をめぐる朝日新聞の「死に神」の件だってそうだろう。内容自体はまっとうな批判だと思う。法相に対してちくりとウィットを効かせたかったのであろうが、やはり後でどう言い訳しようと、あの表現は「高み」からのチクリであり、弱者をはじめとする周りへの配慮が欠けていたのは否定できまい。

でも、実は朝日の人のことだけをとやかく言える身分ではない。かくいう僕も私的なメールではあったが数日前に同じようなことをやってしまった。内容的には問題はないと思うのだが、ちょっぴり茶化したような表現を使った。自分で客観的に見ても、これを第3者が見たら気分を害する人がいるだろうな、と思える。自分ではそんなつもりはなかったけど、というかこの人ならわかってくれるかなと思ってその表現を選んだのだけど、もしかしたら相手の心証も害したかもしれない。結局僕が行き着くのは、他者への配慮の足りなさ。

たかがメールなんて言っていられない。書き手の顔・表情が見えない、文字だけによるコミュニケートだからこそ、すべからく文章を書く場合には特にその重みを感じることだ。

反省ばかりで、タイトルから離れていっているような気がする、このごろの更新。
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by suiminsha | 2008-06-26 11:46
僕はめっぽう早口だ。そのくせ“かむ”ことも少なくない。先日書いた「他人への気配り」じゃないが、ゆっくり話そうと思っても、気がつくと早口になっている。もう少し正確に言うならば「早く伝えるべきことを伝えきりたい」という思いが先立っているようだ。それで、本当に伝えたいことは文章の中に盛り込み忘れ、「あんなふうに言うんじゃなかった」と振り返るのである。

要するに、胆力がないのだ。自分の痛いところをつかれないうちに、自分が不利にならないうちに、なんとか、いち早くその場を切り抜けよう、あるいはその話題から離れようなどと思っているから、口調は早くなり、言葉は正確さを欠いていく。

「彼は横目づかいに僕を見た。どうしてジョーダン・ベイカーが、ギャツビーは嘘をついていると頭から決めていたか、そのとき理由が分かった。彼はずいぶんな早口で『教育はオックスフォードで受けた』と言った。そればかりか言葉を途中で呑み込み、あるいは喉につっかえそうになった。以前にもその台詞を口にするにあたって、困難を覚えた経験があるようにうかがえた。そしていったんこのような疑念が生じると、彼の話すことすべてが信頼感を失い、結局のところこの男には何か不正なところがあるのではないかと考え出すことになる」 
(『グレート・ギャツビー』 S・フィッツジェラルド 村上春樹 訳 より)


「『それは本当に――本当に深いのよ』と直子は丁寧に言葉を選びながら言った。彼女はときどきそんな話し方をした。正確な言葉を探し求めながらとてもゆっくり話すのだ」
(『ノルウェイの森』より)
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by suiminsha | 2008-06-18 01:14
今朝は、ベッドから出ようかなどとまどろんでいたときに、大きな揺れに遭遇。幸いわが家は、ずいぶんと前に使用していた焼却炉が崩れただけで、実質的な被害がなかったが、被害にあわれた方々には、なんと言っていいものか言葉もありません。

こんなときに、こういうことを言うのは、ある種不謹慎なのかもしれないが、この数年、新潟をはじめ大地震が各地で起こっているが、その多くは週末に集中しているような気がする(気がするというのは、データで実証しているわけではないのであって、しかし実感としてそう感じているということ。たとえば休日の大半を地震報道を見るのに費やしたり)。なぜ7日で1週間なのか知らないけれど、そこには何か先人の経験や知恵が生かされているのだろうと、思わず考えてしまう。

今夜は避難所などで夜を過ごす人たちもあると思います。がんばってください。
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by suiminsha | 2008-06-14 22:45
「人には気配りを心がけよう」と思っているのだけど、気がつくとけろっと忘れているものだ。
こういったことを忘れないようにするために、お坊さんや徳のある他の宗教家といわれている人たちは毎朝の祈りを捧げながら道徳的なことがらを反芻したり、あるいは自戒したりているのだろうか。

「奉仕の気持になりはなつたが、
さて格別の、ことも出来ない。

そこで以前(せん)より、本なら熟読
そこで以前(せん)より、人には丁寧」
(「春日狂想」 中原中也 より)
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by suiminsha | 2008-06-11 09:27
体を動かさないまま、食べたり飲んだりしていると、見事に体型が変わっている自分にある日突然気づくように、好きな音楽を聴いたり、本を読んだりすること(あるいは新しいお気に入りを探すこと)をやめていると、知らないうちに自分が自分でないように(ココロもカラダも)感じることってホントにあるものだな、と、感じたのは、つい数日前のこと。

だから、ご飯を食べたり、ビールを飲んだり、たまには思い出したように走ったりするのと同様に、音楽や本に触れることが大切(少なくとも僕にとっては)。それが何かいいことの始まり。
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by suiminsha | 2008-06-09 21:07
何かと反省の多い日々を送っているが、このところは特に反省と後悔にまみれた自分がいた。
今年の日記はこれまで毎日つけていたのだけと、反省と後悔にまみれたこの頃は白紙が続いている。その日を振り返るのも、何か文章を書くのも、そして、おそらく何よりも、自分と向き合うのが嫌だったのである。

昨日の夕方のこと、バスを待っていると、ふとキンクスの「Something better begining」が頭の中で鳴った。そしてこの「何かいいことの始まり」というフレーズが心に響いた

The band had started to play
I held you hand and I sighed
Is this the start of another heart breaker
Or something better beginning
Something better beginning
Something better beginning [by Ray Davies]

バンドはもう演奏を始めていた
僕は君の手を握り、そしてため息をついた
これはまた失恋への始まりなのか
あるいは、何かもっと素敵なことが始まるのかな (私訳)


僕の頭の中で歌っているレイ・デイヴィスが僕の背中を押した。

というわけで、このブログもタイトルを一新。日々の中に“something better”を探していこう。

「暗い心を持つものは暗い夢しか見ない。もっと暗い心は夢さえも見ない」(『風の歌を聴け』より)
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