カテゴリ:ひとり百年読書会( 8 )

ひとり百年読書会。大岡昇平『俘虜記』を読み終えた。

物語としては、昭和20年にフィリピンで米軍の捕虜になった著者の捕虜収容所での体験や見聞が描かれているわけだけど、いちばん印象に残り、最も僕の心にせまり、かつ著者・大岡昇平のドラマを見たのは、あるドイツ人捕虜との交流のところである。

「俘虜のうちにドイツ語を思い出しておくのも悪くないと考え、一日一時間ずつ彼の部屋に行くことにした」著者に、ドイツ人捕虜は「多分彼が小学校のうちに暗唱したものであろう」シラーのバラードを教えるが、これに対して著者が独訳してそのドイツ人に紹介したのは、中原中也の詩「夕照」であった。

まさか、この小説の中で、中原中也に出会うとは思わなかった。言いかえれば、若き時代の交流の中で中原のことを煙たがっていたと僕には感じられた大岡昇平が、中原が死んで10年もたって(彼は昭和12年に30歳で死んでいる)、自分も40歳近い中年と言われるような齢にさしかかって、戦争に駆り出された異国で、しかも戦争捕虜という非常に特殊な境遇の中で、自身はフランスをはじめ東西の文学に通じていたはずなのに、あえて中原中也の詩を選択したことに、僕は意外性を感じた。でも、うれしくなった。

大岡昇平と中原中也は、大岡が(旧制)高校生だった頃の昭和初年に、彼のフランス語の個人教師をやっていた小林秀雄を通じて知り合った。小林や大岡の友人だった河上徹太郎らとともに酒を飲んでは、文学や世界を語るようになるが、学生の大岡と同世代ながら、既に詩人たるべく学校を離れた中原は、まあ飲んじゃあ大岡らに文学論をふっかける。つまりは酔いにまかせて絡むわけだ。腕っぷしなど弱いくせに手が出ることもあった。そのうち、みな嫌気がさして中也から離れていってしまう。

終戦して復員というか帰国した後の、昭和22年1月、大岡は中原の生涯にせまるべく、中原の故郷・山口を訪ね、中原家に逗留する。何が彼を山口に、あるいは中原へ向かわせたのだろうか。

その成果となった、評伝『中原中也』で、彼は中原との関係を端的に述べている。
我々は二十歳の頃東京で識り合った文学上の友達であった。我々はもっぱら未来をいかに生き、いかに書くかを論じていた。そして最後に私が彼に反いたのは、彼が私に自分と同じように不幸になれと命じたからであった。

さらに続けるには。
私も私で忙しいことがあるつもりであった。もっとも何のために忙しいか、中原が何のために自分が不幸であるかを知っていたほどには知らなかったのであるが――そして彼の死後十年たった今日、私に彼の不幸の詳細を知りたいという願いを起こさせ、私をこうして本州の西の涯(はて)まで駆るものが何であるか、それも私はよく知らないのである。


遠くフィリピンの空の下、大岡は中原の詩に何を感じ、中原の何を思い出したのだろう。

中原中也 (講談社文芸文庫)

大岡 昇平 / 講談社


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「百年読書会」、8月は大岡昇平の『俘虜記』。お題の小説を所有していない場合は、せっかくの機会だから、基本的に買いそろえていこうと思っていたのだが、8月中の入手が難しいと考え、図書館で借りてきた。

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昭和46年(僕が生まれた年!)発行の講談社文庫版。当時のデザインはこんなんだったんだ。若き村上春樹はじめ、当時の人たちはこのデザインで講談社文庫を読んでいたのかと思いをはせれば(ハルキさんが実際に読んでいたかどうかは別にして)、自分もほんの少しだけ1970年代の若者になれたような気がする。

カバーの装幀は、亀倉雄策とある。東京オリンピックのポスターをデザインした人。

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バック・トゥ・ザ・古き良き昭和の一時期。で、これから読むのは、アナザーサイド・オブ・昭和(メイビー)。
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7月も、もう最終週。先延ばしにしていた『坊っちゃん』である。書きたいことを正直に書こうとするほど、言葉が出てこない。でも、オブラートで包むように書いたのでは、それこそ「坊っちゃん」に厭きられるか。

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“本紙の読書会”も日曜ごとに読んでいたが、その中で「『坊っちゃんは田舎者をどこか馬鹿にしていて、地方に住む自分としては良い気がしなかった」といった内容の投稿がいくつか紹介されていた。
 投稿者の気持ちも分からんではないが、「江戸っ子で、元旗本の家の次男坊で、物理学校を出た『坊っちゃん』」が、いいものはいい、悪いものは悪いと極端なまでに自分の尺度を持っているところに、この小説の小気味よさがあるのじゃないかな。
 そして、「こんな土百姓とは生まれからして違うんだ」と、今の世の中じゃとても言えないようなことを言ってのける一方で、どこか人情もろく、人を見る目の確かさが坊っちゃんの魅力だ。
「教育もない身分もない婆さんだが、人間としては頗る尊い」と清のことを思う一文にもそれは現れていると思いし、そして、僕がいちばん好きな次の山嵐とのやりとりに彼の気持ちの良さを感じるのである。
「おれは江戸っ子だ」
「うん、江戸っ子か、道理で負け惜しみが強いと思った」
「君はどこだ」
「僕は会津だ」
「会津っぽか、強情な訳だ」

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坊っちゃん (新潮文庫)

夏目 漱石 / 新潮社


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『朝日新聞』による企画「百年読書会」の7月のお題は、『坊っちゃん』(夏目漱石)。

既読の作品でも、この企画にのっかって再読することにしているので、先ほど本棚から見つけてきました。確か中学校2年生のときに買ったもの。有名な冒頭の「親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりしている」から数ページが抜粋されて国語の教科書に載っていて、それで全編を読もうと思って買ったのだと記憶しています。

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発行年を見ると、昭和57年。『坊っちゃん』は文庫本の中でも薄い部類とはいえ、「¥160」は安かったですね。こんどはどんな読書になるやら。

このあいだの『あ・うん』の余韻からか、新潮文庫のえんじ色の背表紙が並ぶ中から、よせばいいのに『それから』も一緒に本棚から抜き出してきました。

それから (新潮文庫)

夏目 漱石 / 新潮社


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「百年読書会」6月の本は、向田邦子の『あ・うん』

僕は子供のころから、TBSで放映されていた久世光彦演出の「向田ドラマシリーズ」が大好きだったのだけど、小説としては今回はじめて向田作品を読みました。『あ・うん』は2000年にドラマ化されたようですが未見です。

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「男2+女1」の三角関係に悩んだ経験のある男にとって、正直なところ、この話は心痛い。門倉の気持ちも、水田の気持ちも分かる。どちらにも“肩入れ”が、できない。たみは僕にも魅力的だ。僕はさっぱり成長していないらしい。

そうだ、描写から彼らの心情を推し量るといった “読み解き”は止めよう。そんな読み方は似合わないのかもしれない。本当は水田とたみのなれそめも気になるが、昭和初期という、江戸と東京がまだまだ日常の中で交差していた時代の空気に身を浸そう。それに、ちょっととぼけた味のある初太郎や、直情型だけど人のいい禮子、おおらかな包容力を見せる君子など、どこか和ませてくれる脇役陣も揃っているじゃないか。

中でも、門倉の“三号さん”が発覚したときに“二号”の禮子が発した、まるで江戸落語のような威勢のいい次の一言は痛快だ。
「三軒目のうちが三軒茶屋なんて、
ふざけるのも大抵にしろっていうのよ」
 いよっ、禮子さん!

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あ・うん (文春文庫)

向田 邦子 / 文藝春秋


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朝日新聞さんの企画「百年読書会」への勝手な“のっかり企画”、「ひとり『百年読書会』」と命名することに。

6月の本は、向田邦子の『あ・うん』。持っていなかったので、書店に行ったはいいが、なんと背表紙が色あせていた。古本ならともかく、“背やけ”している本なんて買いたくないですよね。しかし、他の書店には同書が置いていない。ここが小都市のつらいところで、アマゾンでとも当然考えたが、早く読みたい気持が勝り、背に腹はかえられぬと泣く泣く背やけ本を購入。

(↓ ちょっと分かりづらいですが、文春文庫の向田邦子シリーズは本来、黄色の背表紙なんですよ。)
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僕は思ったのですけど、「百年読書会」が取り上げる、その月の作品を目当てに書店をのぞく人がけっこういると思うので、僕が書店の人だったら、その月の作品を多めに揃えて、目につきやすいところに配置しておくけどな。

で、そんなことを書きながら、も一つ思った。僕でさえ思いつくようなことをプロが考えないわけがない。店頭に並んでいるのは1冊だけだったが、きちんと裏にストックを揃えていたりして。お店の人は「背やけ本が売れたわい、しめしめ」と言いながら、裏からきれいな本を持って来て、書棚に差し込んだかもしれない。うーん、それは口惜しい。

「すみませんが、背やけをしていない『あ・うん』ありますか?」と聞いてみるべきだったと、反省。
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1983年のカンヌ映画祭でパルムドールを取った映画も観たし、このような機会がなければ、おそらく読むことのなかったであろう作品です。

5月は、『楢山節考』(深沢七郎)

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何と言っても、“姥捨て山”というテーマがとても重苦しい。

やはり全体を貫き、読後も漂っているのは、ムラ共同体を維持するための掟(おきて)の厳しさである。70歳になった年寄りを山に捨てる「楢山行き」だけではなく、 盗みを働いた者には容赦ない制裁が加えられる。

その一方で、贅沢の戒めや晩婚のすすめなど、盆踊り歌の替え歌の中に村で生きる知恵が盛られていることも印象的なのだが、次の歌には、残酷な姥捨ての掟に一条の光を与えているように思えた。

塩屋のおとりさん運がよい
山へ行く日にゃ雪が降る

楢山へは「冬行くように暗示を与えている」歌だが、雪が降るほど寒い中で凍死できる、少しでも楽に死なせてやりたいという、配慮を歌ったのではないか。 “楢山行き”は誰にとっても苦汁に満ちた決断だからこそ生まれた、村の先人たちからの温情の歌なのだろう。

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『朝日新聞』で、この4月から、百年読書会という企画が始まったようです。僕も送ってみようと思って書いておいていたのだけど、いざとなるとちょっとためらってしまったので、ここに紹介することにしました。

4月は『斜陽』(太宰治)

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結局、直治は貴族としての自分から逃れられなかった。いや、むしろ逃れようとしたことなどなかったのではないか。

命を絶ったのは、今や自分が貴族でなくなったこと、自恃の最後の拠りどころを失ったからだと思えた。貴族であるからこそ、「薬物やアルコールに溺れる貴族」という自分に酔えたんだ。

こんな直治(あるいは太宰その人)に対する人の思いは? 嫉妬まじりの嫌悪か、憐憫というより共感のまじった憧憬か。それとも、もう一つ。嫉妬まじりの憧憬か。

この作品を読むのは、十数年前の学生時代以来だ。前回の印象は、「恋」と「革命」のキーワードに引っ張られ、ただ“ぽっぽした”心を静かにかき立てられたこと。ストーリーもほとんど忘れる程度のもので、今回、初読のような気持で読み進めたのである。

物語も終盤。「姉さん 僕は、貴族です」の箇所で、はっと目がとまった。前回もこの告白で胸を熱くしたことを思い出した。


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