カテゴリ:最近の何かいいもの( 10 )



日本ロック界の“藤子不二雄”Nobodyが、吉川晃司に提供した「モニカ」「さよならは八月のララバイ」のデモテープ。デモテープと言えば、ギターやピアノ一つで、♪らららー♪とかハミングなどでメロディのみ、というのがまだまだ多かったという当時(1980年代初~中頃)から、Nobodyの場合はその完成度の高さで知られていた。と言っても、彼らのデモテープを聞けることなんて当時は考えられなかったけど、こうして今、聞けることの幸せに感謝。

リズムボックスとアコギだけなのに、すでにロックしていて、かっこいい。逆に、アコギだからいいのか? いずれ、さすがです。
その昔、彼らが出ていたラジオ番組で、デモテープをつくるときには、作詞家から詩が渡されてなくても、英詞など彼らなりに詩をつけて録音していると聞いたことあるけど、この2曲は“詞先”だったんですね。ボーカルにエコーをかけるために、洋服タンスに入って歌入れをしていたなんて話もしてたことを思い出します。

実際にリリースされた完成バージョンも。





ひさびさに聞いて、胸躍ったアラウンド・フォーティーのおじさんたちは、この週末の夜、カラオケで思いっきり歌ってくださいッ! 四半世紀も前にこんなかっこいい曲があったのかと、うれしくも思ってくれた若い方がた、吉川晃司なぞ歌って年がいもなくはしゃいでいるおじさんを見ても、どうか一つ、暖かく見守ってくださいね。
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このブログのタイトル、「Something Better Beginning」がキンクスの曲だってことは、このブログタイトルに変えたときに書いたのだけど、そのときは動画リンクを見つけられずに、いったいどんな曲なのか紹介することができていませんでした。

さっき、見つけたので、改めてこの場で。



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08/JUN/2008のエントリーから。

昨日の夕方のこと、バスを待っていると、ふとキンクスの「Something better begining」が頭の中で鳴った。そしてこの「何かいいことの始まり」というフレーズが心に響いた

The band had started to play
I held you hand and I sighed
Is this the start of another heart breaker
Or something better beginning
Something better beginning
Something better beginning [by Ray Davies]

バンドはもう演奏を始めていた
僕は君の手を握り、そしてため息をついた
これはまた失恋への始まりなのか
あるいは、何かもっと素敵なことが始まるのかな (私訳)


僕の頭の中で歌っているレイ・デイヴィスが僕の背中を押した。

というわけで、このブログもタイトルを一新。日々の中に“something better”を探していこう。

「暗い心を持つものは暗い夢しか見ない。もっと暗い心は夢さえも見ない」(『風の歌を聴け』より)

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「ずっと好きだった」(斉藤和義)。CMで聞いたときから、キャッチーでいい曲だなあと思っていたけど、このビートルズのルーフトップコンサート丸だしのビデオは反則だろう、オイオイ。でも、かっこいいぞ!



ジョンのギターの弾き方や、ジョージのたたずまいが妙に似てる。建物も東京っぽくて、見物している人びとに外人を使っていないところも好感。
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近ごろ、『遠野物語』の世界が気になっている。そこには考えるヒントがたくさんつまっていた。『遠野物語』は単なる民話集ではなかったということを知ったのは、恥ずかしながらつい最近になってのことだったのだけど。

『遠野物語』の遠野は、わがまち釜石のとなりにある。子どもの頃から、「民話のふるさと 遠野」という道路看板を数えきれないぐらい通り過ごしながら、以前にも書いたかもしれないが、“遠野”と『遠野物語』はずっと僕の関心の外にあった世界である。

ついでながら、学生時代にはじめてイギリスを旅行し、古いものを大切にしながら現在とうまく共存させていくかっこよさに魅せられて帰国・帰省のおり、(厳密に言うと遠野ではないが)小峠トンネルを抜けて眼下に遠曾部の小盆地の中に田園が広がるのを見たとき、それが英国で見た緑の丘陵にヒツジが点在する風景と重なり、目の前の流行だけがクールなのではないということを自覚した記憶をここに加えておくのも無駄ではないだろう。

もちろん今も僕の関心は、オシラサマとかザシキワラシの、いわゆる民話的世界ではなく、『遠野物語』のスタイルというか“方法”、あるいは編集術と言えるかもしれない。

『遠野物語』の特色というのは、すべてが断片的で、因果関係を求めたり、そこから理論構築をしたりしようというものではない。あれは「素材集」なのです。――加藤英俊 『遠野物語と21世紀 近代日本への挑戦』

(『遠野物語』は)日本風の静かな抒情と外国風の細かな観察とが錯綜して、読者をして魂の動くのを覚えしめる ――田山花袋 『柳田国男 『産業組合』と『遠野物語』のあいだ』(藤井隆至)より

此物語はすべて遠野の人佐々木鏡石君より聞きたり。昨明治四十二年の二月頃より始めて夜分折折訪ね来り此話をせられしを筆記せしなり。鏡石君は話上手には非ざれども誠実なる人なり。自分も亦一字一句をも加減せず感じたるまゝを書きたり。思ふに遠野郷には此類の物語猶数百件あるならん。我々はより多くを聞かんことを切望す。 『遠野物語』(柳田国男) 初版序文より


遠野物語・山の人生 (岩波文庫)

柳田 国男 / 岩波書店


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落語である。柳家喬太郎の「午後の保健室」。ぼくはあまり創作落語って好まないのだけど、この人のは別。初めて聞いたのが、この作品。ぶっとびました。この人が演じるおやじキャラ、好きですねえ。ちょっと自虐的な突っ込みも入る、ながーい枕も喬太郎の大好きなところである。噺だけ聞きたい人は3/3からどうぞ。






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久しぶりに胸をどきっとさせられた、きれいな女性でした。

作家・山川健一さんのブログの6月12日の記事「ロッド・スチュワートに学ぶ愛の言葉/ I Dont Want To Talk About It」で、その末尾に「 I Dont Want To Talk About It」の動画のリンクが貼られていたんですけど、僕の心をとらえて、あんぐりと口をあけさせたのは、この曲をロッドとデュエットしていたエイミー・ベルという女性シンガーです。



エイミー・ベルは、グラスゴー出身のシンガーソングライター。そう言えば、ロッド・スチュワートもスコティッシュですね。彼女のデビューシングル「Didn't I say」は、スコットランドっぽさを感じさせるタイプの曲ではないけれど、ベースが刻むリズムがきいた、アコギのアルペジオによるフレーズもちょっぴり怪しげな、シェリル・クロウとかフィオナ・アップルとかを思わせる“かっこいい系”な曲と思います。


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まったくこの人からは、ますます目が離せない。このブログでもたびたび取り上げている英国の奇才(と僕が勝手に呼んでいるだけだけど)、スティーヴィー・リックスである。

改めて彼のことを紹介すると、彼は日本風に言うところの“モノマネ・タレント”。そのレパートリーは広く、ビートルズの4人、ミック・ジャガー、キース・リチャーズ、デイヴィッド・ボウイ、エルヴィス・コステロ、ギャラガー兄弟などなどなど、大物英国ロックスターと言われる人たちのほとんどをカバーしているのだ。そして、そこはやはり“モノマネ”、あるいは“パロディ”というべきか。どのミュージシャンのネタもどこか皮肉ったような笑いが見えるんですね。

なかでも、いちばんの驚きはジョン、ポール、ジョージ、リンゴを、それぞウィットあふれるパフォーマンスに仕上げていることなのだけど、奇才は単なるモノマネでは飽き足らないのか、今度は「The Doo's」なる架空のバンドを作り上げたようだ。要するに、ジョン、ポール、ジョージ、リンゴといったふうの人たちが(それぞれ名前も付いているよ)、ラトルズみたいにいかにもビートルズ風の曲を演奏しているわけだ。日本でいえば、ミラクルひかるが、いかにも宇多田ヒカル風なオリジナル曲をあのピンクの衣装で歌っているようなものか。

まずは、“エド・ガリヴァン・ショウ”から。エド・サリバン役もスティーヴィーがこなしています。



おそらくバンド名「The Doo’s」の由来については、彼がポール・マッカートニーのまねをする際に必ず入れるフレーズ、“ドゥ~~”から来ているのでしょう。次の曲は、ほんとポールが歌いそうな曲になっています。



やっぱり最後に、“ドゥ~~”出ましたね。
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サッカー日本代表がワールドカップの本大会出場を決めたことは、さほどサッカーに関心のない僕にもうれしいニュースである。そんな僕のひいたのが、中村俊輔選手のコメント。フリーランサーとして仕事をしている僕だって、一つのプロジェクトを複数の人たちと進めることも少なくない。そこはチームプレーだ。「おれが、おれが」ではなく、また、自分を殺してまわりに合わせるというのでもなく、まわりの個性を見極めながら、その中で自分を生かすこと。あるいは、「個」と「個」の有機的な相互作用による全一的なダイナミズム。俊輔選手のコメントには、サッカーだけでなく、これからの時代に必要な、さまざまな仕事や活動に生かせるヒントがつまっていると思う。ちょっと長いが、ぜひその一部を紹介したい。

岡田さんが監督になって初めて代表に招集されたとき、自室に呼んでいろいろと話をしてくれた。「こういうコンセプトでこういうサッカーがしたい。それについてきてくれるか」と。岡田監督のコンセプトとは一言で言えば「全員守備、全員攻撃」のこと。自分なりに準備をしてきていたけど、最初にきちんと話をしてくれたので、凄く対応しやすかった。

 最初に招集されたときは4―4―2で、セルティックと同じ右をやらせてもらったから、自分としてもプレーしやすかった。とにかくまず周りの動きを把握しつつ、その中で自分の色を出していく。その順番だけは間違えないようにした。以前はいかに自分を良く見せるかに集中していた。でも、セルティックで得た経験から、大事なことは自分だけを良く見せることではなく、集団の中でどれだけ見せられるかだと分かった。自分のプレーばかり見せようとすると、そのときは良かったとしても、必ずどこかで引っかかる。そうじゃなくて、近くの人と連動して良いプレーをして、その中で自分をアピールすることが大切だと思う。

 よくマスコミからは自分がチームリーダーみたいに言われるけど、自分ではそんな気は全くない。ただ、気が付いたことがあったらどんどん他の選手に話すようにはしてきた。「オレはこういうプレーしかできない」というのではダメ。集団の中で自分は何をすればいいのか、周りの状況を読める人間が必要。試合終了のホイッスルと同時に味方選手に自分の意見をぶつけたこともあったけど、意見交換は大切なことだと思う。自分自身も他の人からの指摘は聞くし、自分で反省もする。そういう作業の積み重ねが今回の結果(予選突破)につながったと思っている。

 もちろんW杯は予選を通っただけじゃ意味がない。あと1年でさらにレベルを上げるためには、もっと強い相手と試合をする必要がある。9月にはオランダとの試合が予定されていると聞いたけど、例えばその試合で0―5や0―7で負けてもいい。でも、そこで今やっているサッカーが間違いだったと思うんじゃなくて、自分がどうすればよかったのか、相手の速さについていくにはどうしたらいいのか、個人じゃなくてチームとしてどう対応すればいいのか、それに気が付けばいい。

 もう1つ大事なことは、チームの雰囲気を良くすること。ささいなことだけど、合宿の時の食事はバラバラじゃなくみんなで1つのテーブルを囲むとか、部屋のドアは開け放っておくとか、レクリエーション用に野球盤を置くとか、朝全員で一緒に散歩するとか。そうやってチームが1つになるし、こういうことが大切だと思う。ドイツ大会の時はあまりそういうことがなかった。今回はそういう雰囲気もつくっていきたいと思っている。 2009年06月07日「スポニチ」ウェブニュースより  太字強調はsuiminsha

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恥ずかしながら、僕のところで「You Tube」を見られるようになったのはつい1カ月ちょっと前のこと。うさわには聞いていたが、おもしろすぎる。ドリフやモンティパイソンをはじめ昔のテレビものや音楽はもちろんのこと、はては中東の国の散髪の様子まで、いもづる式におもしろい画像が出てくる。中でも音楽に関しては、はじめて見る映像、二度と見られないと思っていた映像を見ることができて、この短いあいだに何度胸を熱くしたことか。僕の中では95年のイギリスで電子メールと出会って以来の、第2次情報革命の様相です。

2年ぐらい前のNHK教育の「フランス語講座」で偶然見て、「かっこいい!」と、ひさびさに興奮を覚えたPVもしっかりあったので、よかったらどうぞ。そしてこうやって、紹介したいものを気軽に紹介できるところもすばらしい。(groovyさん、簡単なことかもしれないけれど、「夏の魔物」でこのことに気づかせてくれてありがとう^-^)

ラシッド・タハという人の「Teki Toi」という曲です。思わずカラダが左右に揺れてしまうリズム、アコギのカッティングがすごくイカしている。アルジェリアの音楽とロックを融合させた音楽で、フランスで活躍のこと。数年前に来日もしているそうです。「Teki Toi(テキトワ)」というのはフランス語で「Who are you?」という意味だそうですが、僕には「敵とは?」と聞こえてしまうのです。

アルジェリアの音楽とロックの融合というとなんだか新しいもののようにも感じるけれど、40年も前に、既にビートルズやローリングストーンズなどが東洋の音楽の要素を取り入れていたことを考えれば自然なことなのかもしれない(もちろんこれはイギリス側に立った視点であって、アルジェリア系のラシッド・タハたちの立場から見れば新しいアプローチなわけだけど)。ややこしくなったようでうまく言えないけれど、ロックというのは僕らにとってはアメリカとイギリスの音楽で、僕などはもろイギリスに憧れたわけだけど、当の彼ら(アメリカやイギリスの人)にとっては実は非英米的なものへの憧れが生み出したものがロックではなかったのか(だからジョン・レノンは日本文化にも関心を示したりもした)、などとつい飛躍的に考えてみたり。
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何かと反省の多い日々を送っているが、このところは特に反省と後悔にまみれた自分がいた。
今年の日記はこれまで毎日つけていたのだけと、反省と後悔にまみれたこの頃は白紙が続いている。その日を振り返るのも、何か文章を書くのも、そして、おそらく何よりも、自分と向き合うのが嫌だったのである。

昨日の夕方のこと、バスを待っていると、ふとキンクスの「Something better begining」が頭の中で鳴った。そしてこの「何かいいことの始まり」というフレーズが心に響いた

The band had started to play
I held you hand and I sighed
Is this the start of another heart breaker
Or something better beginning
Something better beginning
Something better beginning [by Ray Davies]

バンドはもう演奏を始めていた
僕は君の手を握り、そしてため息をついた
これはまた失恋への始まりなのか
あるいは、何かもっと素敵なことが始まるのかな (私訳)


僕の頭の中で歌っているレイ・デイヴィスが僕の背中を押した。

というわけで、このブログもタイトルを一新。日々の中に“something better”を探していこう。

「暗い心を持つものは暗い夢しか見ない。もっと暗い心は夢さえも見ない」(『風の歌を聴け』より)
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