ウラジオストックで語られた「西郷生存説」

『宿老・田中熊吉伝 鉄に挑んだ男の生涯』(佐木隆三/文芸春秋)を読んでいて、面白いエピソードがあったので、ここで紹介したくなって。

この本自体は、九州福岡の官営八幡製鉄所の草創期より鉄づくりに携わり、「高炉の神様」「宿老」としてあがめられるようになった田中熊吉の一代記なのだが、今日紹介したいエピソードは、彼の生涯に直接関係するものではない。大正元年、田中がドイツのオーバーハウゼン市にあるGHHへの派遣団の一員として出張を命じられ、ドイツの鉄鋼技術を学ぶべく日本を出発した派遣団がその途上、シベリア鉄道乗車を前に、ウラジオストックに寄った際の一行の会話にそれは現れる。

一行のなかの物知りたちが、会話をはずませた。
「明治二十四年五月、ロシア皇太子のニコライ二世が、国賓として日本に立ち寄ったのは、シベリア鉄道起工式にのぞむ途中じゃった」
「神戸から京都に向かい、琵琶湖を遊覧した帰りに、滋賀県巡査の津田三蔵が、人力車上のニコライの頭部めがけてサーベルで切りかかった。西南戦争に従軍した三蔵は、西郷隆盛がロシアへ亡命して将軍になり、ロシア艦隊で帰国するちゅう噂を、信じ込んでいたという
『宿老・田中熊吉伝 鉄に挑んだ男の生涯』(佐木隆三/文芸春秋)


西南戦争のおりに鹿児島で自決したはずの西郷がロシアにわたって将軍になる――荒唐無稽ながらどこか興味をそそられるこの逸話を聞いて、よく似た話を思い出す人も多かろう。「義経の北行伝説」。兄・源頼朝に追われ、身を寄せていた奥州平泉で果てたはずの義経が、密かに平泉を逃れ、三陸海岸を北上、蝦夷、樺太と渡り、チンギス・ハーンになったという伝説である。

どちらも義将の死を受け入れられないのちの時代の人たち、彼らの死ののちの世の動きに不満のある人たちがまことしやかに“編集した”ものがたりなんだろうが、僕はこうしたたぐいの異伝がめっぽう好きだ。僕もなかなか“判官びいき”な人なのかもしれない。

〈津田が切りつけた理由は、本人の供述によれば、以前からロシアの北方諸島などに関しての強硬な姿勢を快く思っていなかったことであるという。また事件前、西南戦争で敗死した西郷隆盛が実はロシアに逃げ延び、ニコライと共に帰って来るという噂がささやかれており、西南戦争で勲章を授与されていた津田はもし西郷が帰還すれば自分の勲位も剥奪されるのではないかと危惧していたという説もある。ただしニコライを殺害する意図は薄かったらしく、事件後の取り調べにおいても「殺すつもりはなく、一本(一太刀)献上したまで」と供述していたと言う記録もある。他にも当時はニコライの訪日が軍事視察であるという噂もあり、シベリア鉄道もロシアの極東進出政策を象徴するとして国民の反発があったことは確かである。「大津事件」事件の背景 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』〉
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by suiminsha | 2009-07-26 12:08